リーダーズ・リレートーク【江南市・犬山市・岩倉市・大口町・扶桑町】
(更新)

愛知県丹羽郡扶桑町をはじめとする地域の街や暮らしを支える経営者・キーパーソンにスポットを当てる連載企画「リーダーズリレートーク」。
第10弾となる今回は、丹羽郡扶桑町を拠点に2026年10月、大恵建築株式会社(ダイエ建築)の代表取締役に就任し、従来の建築・不動産の枠組みを越えて人や地域の未来に関わる「Home Production」企業への再構築を進める早岐 壽剛(はいき かずたか)氏をご紹介します。

早岐 壽剛(はいき かずたか)
大恵建築株式会社(ダイエ建築)代表取締役。 愛知県丹羽郡扶桑町を拠点に、建築・不動産事業に携わる一方、組織開発、人づくり、地域における起業・挑戦支援など、企業の枠を越えた活動を展開している。
2026年10月、ダイエ建築株式会社代表取締役に就任。
従来の建築会社という枠組みから、建築・不動産・新規事業を通じて、人の生活や社会の未来に関わる「Home Production」企業への再構築を進める。これまで対外活動の中で培ってきた組織開発や人づくりの経験を企業経営へ実装し、「人を変えるのではなく、人が自ら考え、動き、未来が育っていく環境をつくる」という考え方を軸に、人・企業・地域・社会の新しい循環を形にする取り組みを行っている。
遊休資産化していた自社倉庫を活用した次世代型コンテナモール「D's FACTORY」を発案し、プロジェクトオーナーとして立ち上げる。単なるテナントスペースの提供ではなく、小さく事業を始めたい起業家や店舗を持たない事業者が挑戦できる環境づくりと事業の継続性を重視。出店者同士のつながりや、事業・戦略面での伴走支援を含めた仕組みを構築している。
扶桑町商工会青年部に所属し、部長などを歴任。部長退任後は扶桑町商工会で初の特例起用により、個人として扶桑町商工会史上最年少理事となる。
その後、扶桑町・大口町・北名古屋市・清須市・岩倉市・豊山町の青年部で構成される中尾張支部では、扶桑町商工会青年部で初の支部長として、約150名の若手経営者・後継者による組織を統括。
同時に愛知県商工会青年部連合会(愛知県青連)理事および躍進委員会委員長を務め、組織の帰属意識や次世代への継承をテーマに、単会の枠を越えた組織づくりや仕組みづくりに取り組む。
これらの活動が評価され、2025年度全国商工会青年部連合会「第25回商工会青年部全国大会」において全国顕彰を受賞。活動内容は全国誌『月刊商工会 SHOKOKAI』にも取り上げられた。
2026年度に創設された丹羽ライオンズクラブ「みらい支部」の初代会長に就任。これまでに培った独自の組織開発をベースに、従来型の役職や委員会を中心とした組織構造にとらわれず、目的に応じてメンバーが主体的に活動する柔軟なパズル型の組織づくりを実践。「未来につなぐ奉仕」という普遍の目的を軸に、地域活動や次世代に「体験と記憶」を残すための活動を推進している。



大工の棟梁だった祖父が、長崎県の早岐町、現在の佐世保市から、戦後の高度経済成長期に弟子を連れて愛知県扶桑町へ移り住んだところから、私の家業の歴史は始まります。 珍しい苗字ということもあり、幼い頃から「あの建築屋の孫」「大恵の後取り」として見られてきました。
5歳くらいの頃、「大きくなったら何になりたいの?」と聞かれて「消防士!」と答えたところ、周囲の大人の表情が変わったことに気づき、慌てて「でも、やっぱり大工さんかな」と言い直したことを今でも覚えています。 子どもながらに、周囲から期待されている自分と、自分自身が考えている自分は必ずしも同じではないと感じた最初の経験だったのかもしれません。
一方で、大きな転機になったのが、小学5、6年生の2年間を長野県小谷村で過ごした山村留学です。 親元を離れ、小学1年生から6年生までの子どもたちが共同生活を送り、洗濯や掃除など身の回りのことは自分たちで行い、寮のルールも自分たちで話し合って決める。 血のつながりはなくても、そこには家族と呼べる関係が成立していました。 また、中学生ではオーストラリア、高校生ではニュージーランドへのホームステイも経験しました。 違う環境や文化へ入ることで、自分にとっての「当たり前」は、必ずしも他者にとっての当たり前ではないと知りました。
今振り返れば、人は環境や関係性によって変わること、そして一つの価値観だけを正解とせず、少し離れたところから全体を見ること。 現在の私の考え方の原型は、この頃から少しずつつくられていたように思います。
幼い頃から「後取り」と言われ続けていたからこそ、すぐに家業へ入るのではなく、一度は自分の力で社会に出たいという思いがありました。 大学生の頃には、avex主催のボーカルオーディションにも挑戦しました。全国約1万人から選考が進み、最終選考まで残りましたが、最後の8人には入れませんでした。 自分より能力の高い人を目の当たりにし、「自分には何があり、何が足りないのか」を客観的に考えた経験は、今の自分にもつながっています。
社会人として最初に入ったのは、キッチンやユニットバスなどを施工する会社でした。 初めて現場へ行った日、自分を含めれば5人いるのに、先輩から「今日は4人だから大変だな」と言われました。 まだ自分は「一人」として数えられていない。そのことが悔しくて必死に仕事を覚えました。 半年ほど経ったある日、同じ先輩から「今日は5人いるから楽勝だな」と言われたとき、初めて自分の力で一人前として認めてもらえたように感じました。
その後、1年半で独立させてもらい、そこで初めて家業へ入ることを自分の選択として考えられるようになり、24歳で大恵建築へ入社しました。 私にとって家業を継ぐということは、敷かれたレールをそのまま歩くことではありませんでした。 一度そのレールから外へ出て、自分でも歩けることを確認してから、自分の意思で戻ってきた。 そんな感覚です。
入社後は約6年間、大工として現場で働きました。 当時は「仕事は見て覚える」という文化が強く、先輩によって教える「正解」が違うこともありました。 ある人からAが正しいと教えられ、その通りにすると、別の人からBが正しいと叱られる。 そこで次第に、「これは個人の問題ではなく、組織の構造の問題ではないか」と考えるようになりました。 共通の目的や基準がなければ、下にいる人間は正解を探そうとするほど振り回されてしまう。
その後、34歳で扶桑町商工会青年部へ入り、部長、中尾張支部長、愛知県連理事などを経験したことで、この問題意識を実際の組織づくりで試す機会を得ました。 約150名が所属する中尾張支部では、細かな行動を統制するのではなく、あえて「みんなで楽しむ」というシンプルな共通目的を置きました。 「この事業は、みんなが楽しめるだろうか」という共通の判断軸だけを共有し、具体的な方法はそれぞれに任せる。任せた以上は進行に口を挟まず、最終的な責任は自分が持つ。 私の中では、選択と責任、自由は切り離せないものだと考えています。 自分で選択するからこそ、その結果に対する責任が生まれる。一方で、その責任を引き受けるからこそ、自分で選べる自由を持つことができる。 だから、組織の中で人に自律してもらうためには、単に「自由にやっていい」と伝えるだけではなく、自ら選択し、その結果を引き受けられる環境をつくることが大切だと思っています。 実際に中尾張支部でも、それぞれが自分たちで考える余白をつくることで、各単会が主体的に動き始め、単会を越えた関係が生まれ、事業への参加率も大きく向上しました。 ここで実感したのが、 人を直接動かそうとするのではなく、共通の目的と環境を設計すれば、人は自ら考えて動き始める ということです。 現在、新しい組織に関わる際に私が最初に「普遍の目的」を設計するのも、この経験が原点になっています。
私は、「自分が何者なのかは、自分だけでは決められない」と考えています。 自分がどうありたいかという意思は大切です。 ただ、自分という存在は自分の内側だけにあるのではなく、他者からどう認識され、どんな関係を築いてきたのかによっても形成されます。
幼い頃は「あの建築屋の孫」「ダイエの後取り」と周囲から定義されることを窮屈に感じていました。 でも今は、それも含めて現在の自分がつくられてきたのだと捉えています。 そう考えるようになると、自分自身についても、絶対的な主体としてではなく、周囲との関係や目的の中に存在する一つの要素として見るようになりました。 つまり、「自分自身も、目的を実現するための一つのリソースであり、変数である」という考え方です。
何かがうまくいかないとき、「相手が変わればいい」「組織が変わればいい」と考えるだけではなく、自分自身もその状況を構成する一つの要素として考える。 前に立った方がいいのか、横に並んだ方がいいのか、後ろへ下がった方がいいのか。あるいは、あえて答えを言わない方がいいのか。 「この状況で、自分をどこに配置すれば全体が最も良く機能するのか」 という視点で、自分自身も、その結果を生み出す因果の中にある一つのリソースとして捉えています。 自分自身も全体を構成する一つの変数だと考えれば、リーダーだからといって、常に自分が中心にいる必要もありません。 だから私は、自分を必要とする人を増やすことよりも、自分がいなくても動く組織をつくることが、一つの完成形だと考えています。
商工会活動で全国顕彰をいただいた際にも強く実感しましたが、自分が直接手を出して人を育てようとするのではなく、人が育つ「環境」や「仕組み」そのものを設計することが本質です。 商工会活動を通して自身も学び、扶桑町商工会史上最年少での理事就任や愛知県青連・中尾張支部長を務める中で、多くの人と出会い、多様な生き方や価値観に触れたことも、この考え方をより深めるきっかけになりました。 そして、この考え方を時間軸まで広げていくと、最終的には、 「自分がその場所からいなくなったあとに、何が残るのか」 という問いに行き着きます。 その先には、自分なりの死生観も関係してきます。 人が生きていられる時間は有限です。 だからこそ私は、 生きるとは、「未来に何かをつなぐこと」。 働くとは、「その未来に自分がどのように関わっていくか」ということ。 だと考えています。 私の場合、自分の寿命を80歳と仮に設定しています。 もちろん、実際に何歳まで生きるのかは誰にも分かりません。ただ、終わりの見えない時間として人生を捉えるよりも、「仮に80歳までだとしたら、残された時間で何ができるだろう」と考えた方が、自分が今やるべきことや、次の世代へ渡していくべきものが見えやすくなるからです。 そう考えると、会社でも組織でも、自分がいつまでも中心に居続けることには、あまり意味を感じません。 重要なのは、自分がいなくなったあとにも、何が残っていくのかということです。 残したいのは、自分の名前でも、自分が考えた正解でもありません。 誰かがそこで何かを体験し、考え、挑戦し、自分なりの答えをつくり、それをまた次の誰かへつないでいく。 だから私は、自分を必要とする人を増やすことよりも、自分がいなくても続いていく仕組みや環境をつくることに価値を感じます。
自分自身を未来に残すのではなく、自分がいなくなった未来にも、新しい何かが生まれ続ける環境を残す。 それが、会社経営でも、組織づくりでも、地域活動でも、私の根底にある考え方です。
これまで私は、主に対外活動の中で、人や組織が自律的に動き始める環境について考え、実践してきました。 これからは、それを自社の事業そのものへ実装していきたいと考えています。
私はダイエ建築を、単純な「家を建てる会社」とは考えていません。 家は完成した瞬間がゴールではなく、そこから何十年という生活が始まります。 だから私は、「家づくりはゴールではなく、手段のひとつ。」 と考えています。 家を建てることそのものが目的なのではなく、その先にある暮らしや、その人の未来にどう関わっていくのか。 そのための手段として建築があり、不動産があり、場所づくりがあり、新しい事業がある。 それぞれを別々の事業として捉えるのではなく、人の生活や未来に関わるための異なる手段として捉えています。 その考え方を表しているのが、私たちが掲げる「Home Production」です。 建築から離れるわけではありません。 むしろ、建築から始まった会社だからこそ、「つくるもの」の範囲を広げていく。 祖父が建物をつくり、父の代を経て会社が私たちの世代までつながってきた。 私は三代目として、その歴史を引き継ぎながら、建物だけではなく、人の暮らしや挑戦、そして未来が育つ環境までつくれる会社へ広げていきたいと考えています。
D's FACTORYは、自社倉庫を活用したコンテナ型モールですが、単なるテナント事業としてつくったわけではありません。
私が大切にしているのは、「場所を貸すこと」ではなく「挑戦できる環境をつくること」です。
最初から大きな店舗を構えるのではなく、小さく始めて、試して、失敗して、修正できる。
必要であれば事業について一緒に考えますが、こちらから答えを押しつけるのではなく、本人が自分の答えを見つけられるように伴走する。
組織づくりで実践してきたことを、事業や地域へ拡張したものとも言えると思います。
今後構想している「D's Project」や駅前のチャレンジスペースも同じ延長線上にあります。
社会的な価値を生むことと、事業として利益を生むことを対立させるのではなく、価値を生む活動が収益によって持続し、その収益がまた社会に次の挑戦の機会を生む。
そんな循環をつくっていきたいと考えています。


2026年度に創設された「みらい支部」では、初代会長を務めています。 ここでも、基本的な考え方は同じです。 私は全国商工会青年部連合会から「人づくり」の部門で全国顕彰を受賞しましたが、実は「人材育成」という言葉には少し違和感があります。 こちらが考える理想像へ人を育てるのではなく、本人が自ら考え、挑戦し、成長できる体験をつくることの方が、はるかに大切だと思っているからです。 特に次世代へ何を残すのかを考えたとき、物だけではなく、「体験と記憶」を残していきたいと考えています。 みらい支部そのものについても、一人の強いリーダーに依存するのではなく、必要な場面で、それぞれが自然と中心になれる状態を目指しています。 そのため、事業ごとの委員会というものはなく、目的に応じて中心メンバーが主体的に周囲を巻き込んで動く「ユニット制」というものを取り入れています。 みらい支部では、「未来につなぐ奉仕」を普遍の目的として活動しています。 ただ、本当につないでいきたいのは、個々の事業そのものではありません。 「自律した人と人とが、それぞれの持つ機能を接続していける文化」です。 ここで行う一つひとつの事業も、その文化をつくるためのツールだと考えています。 私や今のメンバーがいなくなっても、目的や文化が残り、次の人たちがその時代に合った方法を考え、自分たちなりの答えをつくっていく。 それが、私が考える「未来につなぐ」ということです。

私は「こうすれば成功する」という答えを伝えるつもりはありません。 誰かの成功例は、その人が、その時代、その環境、その能力の中で導き出した答えだからです。 同じ方法が、別の人にとっても正解になるとは限りません。 だからこそ、自分自身で考え、自分自身の答えをつくることが大切だと思います。
ただ、一つ問いを渡すとしたら、「その事業によって、誰の未来に、どんな変化を残したいですか?」 ということかもしれません。 事業は自分のために始めたとしても、続いていけば必ず誰かとつながり、社会と接続します。 自分が持っているもの、置かれている環境、周囲にいる人たち。自由な発想を大切にしながら、自分自身さえも一つのリソースとして使い、自分にしかつくれない答えを探してほしいと思います。 私自身も、まだその途中です。 答えを未来へ残すのではなく、次の人が自分なりの答えを考えられる環境を残す。 その積み重ねが、未来へ何かをつないでいくことなのだと思っています。
会社名:大恵建築株式会社(ダイエ建築)
代表者:代表取締役 早岐 壽剛
所在地:〒480-0102 愛知県丹羽郡扶桑町高雄下山122
電話番号:0587-93-0336
事業内容:
建築・住宅事業:愛知県丹羽郡扶桑町近郊における注文住宅の設計施工、各種リフォーム・リノベーション
不動産事業:土地建物売買、賃貸仲介、遊休資産の有効活用提案
新規事業・空間開発:「D's FACTORY」等のコンテナモール開発、地域チャレンジャー伴走支援、空間プロデュース
特徴:丹羽郡扶桑町で三代にわたり培った確かな技術力をベースに、人の暮らし・挑戦・未来が育つ環境を包括的にプロデュースする「Home Production」企業
早岐氏の言葉に一貫していたのは、「自分という人間を超えて、未来に何を残せるか」という客観的でフラットな視点と、人や地域に対する温かなまなざしでした。
リーダーだからといって自らが絶対的な中心に立ち続けるのではなく、自分自身さえも環境を構成する一つの「変数」として捉える。そして「自分がいなくなっても自律して回り続ける仕組みや文化」を設計することに情熱を注ぐ——その思考プロセスは、これまでの建築業や経営者の概念を鮮やかに刷新するものでした。
単に家や建物を建てることにとどまらず、住まう人の未来、起業家の挑戦、地域社会の循環までをも包括して創造する「Home Production」。愛知県丹羽郡扶桑町から地域社会や建築・不動産業界の新たな可能性を切り拓く大恵建築株式会社と早岐氏の挑戦は、これからも次の世代へ豊かな体験と未来をつないでいきます。
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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【リーダーズ・リレートーク Vol.8】 「行政知見」と「激熱の情熱」で江南市に未来投資を——「もの言う県議」が挑む成長戦略|愛知県議会議員 村瀬 正臣 氏