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4月の中旬、「古知野神社祭礼」が開催される前に実行委員である古知野地区の事務局長 大野氏、祭礼の主役となる本厄の団体「鼠牢会(ごくろうかい)」の代表小畑氏に話をうかがった。
その前に
創建は延徳元年(1489年)に遡ります。古知野神社は、もともと「神明社」または「三明社」と呼ばれていた神社と、「柳大明神」または「熱田社」と呼ばれていた神社の二社が合併して現在の古知野神社となりました。合併は大正2年(1913年)に行われ、以降「古知野神社」として知られるようになりました。
神社の主祭神は天照大御神と日本武尊であり、神社の境内には、古くからの楠の大樹や季節ごとの桜、紅葉などがあり、自然と調和した美しい環境が特徴です。
愛知県江南市で毎年4月(4月17日の前の日曜日)に行われる伝統的な祭りで、厄年の男性たちが献馬を奉納することで、厄を払うと同時に地域の繁栄を祈願することを目的としています。
祭りの実行委員は数えで前厄・本厄・後厄の3つのグループを地域の出身者たちで構成し、おもに主体となるのは本厄のグループ「鼠牢会(ごくろうかい)」。校区や分校、少子化も重なり年々参加者は減りつつあるものの、歴史と伝統のある古知野神社祭礼・馬奉納を未来の子どもたちへと繋いでいくためにも、あくまで主役である鼠牢会が主体となりながらも、前厄、後厄のグループに地域のOBたちが世代を越えて準備を進めているのが印象的だった。
鼠牢会のメンバーは前厄であった昨年度(一年前)より準備を進めていて、開催の数ヶ月前からは打ち合わせの頻度も高くなり、警備誘導のために警察や消防との打ち合わせを重ね、古知野地区の地区費ではとうていまかなえない開催費用を捻出するため、地域の企業に対して協賛金を集めるべく、それぞれが仕事をしながら合間をぬって奔走していたという。
かなり以前は各町内でも献馬を奉納していたが、いつしか町内は神輿に変わっていき、献馬を奉納するのは三厄とOB(奉賛会)のみと変遷していった。祭りも時代に応じて残すべき伝統の部分は残しながら、今の時代に対応すべく内容も変遷していっているという。祭りでよくある強い上下関係についても良い部分は残しながら、新しい世代にも対応すべく上下関係の在り方についても随分様変わりしてきたと大野氏は語る。
時代に合わせて新しく始めたのは「ワッショイ古知野祭り」。古知野には34の町内があり、そのうち19町内で18の神輿があるが、神輿のない町内もある。となると同じ古知野に住んでいながら神輿に参加できない子どもたちが出てきてしまうのをなんとかしたく、「ワッショイ古知野祭り」を開催することで、町内や神輿関係なくまつりに参加できる機会を創出した。という。
また、気軽にまつりに参加できる仕組みとしてフォトコンテストも開催し、馬や人とにかくまつりに関する写真ならなんでも応募OKとしたり、時代に合わせてSNSでの発信(Instagram、LINE)も試行錯誤しながら取り入れている。
また他のまつりの事例を積極的に取り入れ、街中を大量の「のぼり」で埋め尽くすと話題になった、注目を集めたという事例を参考にし、昨年には協賛も募って180本ののぼりを駅前や街中に手分けして立てたのを今年は220本に拡大した。というなんと柔軟な姿勢と実行力とスピード感のある実行委員と関心させられた。
ではこの実行委員のモチベーションはなにか?もちろん古知野区のためもあるが、一番は地域の子供たちの未来、子どもたちのために「楽しいこと」「やりたいこと」「やってみたいこと」が叶う機会を残していきたいという思いのため、と笑顔で語る大野氏と小畑氏を見て、このまつりは良い意味で形を時代に応じて変えながらも、子どもたちが参加したいと思えるまつりとして今後もずっと続いていく未来がはっきりと想像できた。
記事:まいぷれ江南 編集長 尾花英隆
| イベント名 | 古知野神社祭礼 |
| 開催日 | 2025年4月13日(日) |
| 開催時間 | 10:00~16:00 |
| 開催場所 | 古知野神社~古知野地区一帯 |
祭礼当日はあいにくの悪天候で一部祭事に変更が出たものの無事開催された。
朝6時に三厄は古知野神社に集結し、決起集会が勇ましく行われ、7時前に古知野神社を出発し、6つの神社をまわりながら、会員宅や協賛金を提供してくれた企業の前で万歳を唱和し、「ワッショイ古知野祭り」が行われる古知野南小学校を昼までに到着すべく出発。
14時過ぎからは今度は集結した献馬と神輿が古知野神社までパレードを行い、ゴールとなる古知野神社にて献馬と厄払いが行われた。















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